COLUMN2026.09.24

【世界の不動産事情・第7回】

【世界の不動産事情・第7回】

HDBと外国人課税に見る「住宅は生活基盤」という政策

シンガポールの住宅政策を象徴するのが、HDBフラットです。

HDBとは、住宅開発庁「Housing & Development Board」が供給・管理する公共住宅を指します。日本語では「公営住宅」と訳されることがありますが、日本の公営住宅と同じものだと考えると、制度の本質を見誤ります。

日本の公営住宅は、主として住宅に困窮する低額所得者に低廉な家賃で賃貸する制度です。一方、シンガポールのHDBは、低所得者向けの公共賃貸住宅だけではなく、幅広い国民が購入し、自ら居住する持ち家型の公共住宅を中心に構成されています。

HDBの2023/2024年度統計では、2024年3月末時点でシンガポールの居住人口の76.4%がHDBフラットに住み、73.4%がHDBから売却されたフラットに居住していました。政府は概括的に、「約8割の国民がHDBに住み、そのうち9割超の世帯が自宅を所有している」と説明しています。

なぜ、政府が供給する住宅で、これほど高い持ち家率を実現できたのでしょうか。

1.HDBは「安い賃貸住宅」だけを供給する機関ではない

シンガポールでは、1964年に「Home Ownership for the People Scheme」が開始されました。これは、政府が供給する住宅を国民が購入し、自らの住まいとして保有することを促す制度です。

HDBは、この制度の目的について、国民に住宅という具体的な資産と、国への利害関係を持ってもらうことにあったと説明しています。HDBは過去60年間で約125万戸のフラットを建設し、賃貸中心の社会から持ち家中心の社会への転換を支えてきました。

もっとも、HDBが賃貸住宅を供給していないわけではありません。

住宅取得が困難な一定のシンガポール国民を対象に、公共賃貸住宅制度も設けられています。しかし、HDB政策の中心にあるのは、公共住宅を低廉な家賃で貸し続けることではなく、所定の資格を満たす国民に購入可能な住宅を供給することです。

2.HDBを「所有する」とは、永久に土地を持つことではない

HDBフラットの所有を、日本の土地・建物の完全な所有権と同じ意味で捉えることはできません。

HDBが販売する一般的なフラットは、通常、99年間のリースホールドです。購入者は、期限のないフリーホールドを取得するのではなく、設定された期間について住戸を保有する権利を取得します。高齢者向けの2ルーム・フレキシでは、より短いリース期間を選択できる制度もあります。

中古のHDBフラットを購入する場合、買主が取得するのは、当初の99年間ではなく、その時点で残っているリース期間です。

したがって、HDBフラットの価値を判断する際には、立地、広さ、階数だけでなく、残存リース期間を確認する必要があります。HDBの持ち家政策は高い居住安定性を生み出していますが、永久所有を前提とした制度ではありません。

3.高い持ち家率を支える「供給・補助・金融」の一体設計

シンガポールの高い住宅所有率は、国民の持ち家志向だけで説明できるものではありません。

制度上は、少なくとも次の仕組みが一体となっています。

第一に、HDBが新築住宅を計画的に供給しています。

新築HDBフラットは、主にBTO、SBF、オープン・ブッキングなどの方式で販売されます。BTOは複数の地域・住戸タイプから構成される新築販売方式であり、SBFでは過去の販売で残った住戸や買戻し住戸などが供給されます。

第二に、新築HDBフラットは、政府の住宅政策に基づく補助を受けた価格で販売されています。

HDBの年次報告書では、新築フラットを補助価格で販売することにより住宅事業に損失が生じ、その不足を政府交付金で補っていることが示されています。つまり、住宅価格の低廉化は、単なる建築会社の企業努力ではなく、財政支援を伴う政策です。

第三に、購入者はCPFの普通口座に蓄積された資金を住宅取得に利用できます。

CPFの普通口座は、HDBフラットの頭金、住宅ローン返済、印紙税、一定の法務費用などに利用できます。現金だけで住宅購入資金を用意する必要がないため、購入時の現金負担を抑える機能があります。

さらに、所定の資格を満たす世帯には住宅補助金やHDB住宅ローンなどの制度があります。HDBが住宅を供給し、政府が価格を補助し、CPFと融資制度が購入資金を支えることが、高い持ち家率の制度的な基盤となっています。

4.HDBは国籍・家族構成と結び付いた住宅制度

HDBフラットは、誰でも自由に購入できる一般的な不動産商品ではありません。

新築HDBフラットを家族で購入する場合、原則として申請者にシンガポール国民が含まれ、さらにシンガポール国民または永住者など、所定の家族構成を満たす必要があります。単身で新築フラットを購入する制度についても、原則として35歳以上のシンガポール国民が対象です。

シンガポール永住者で構成される世帯は、所定の要件を満たす場合に再販HDBフラットを取得できます。ただし、非マレーシア系の永住者世帯には、ブロック単位で8%、近隣単位で5%という永住者世帯の上限が設けられています。

また、HDBの売買にはEthnic Integration Policyと呼ばれる民族統合政策が適用され、ブロックや近隣地区の民族構成によって、売却可能な買主が限定される場合があります。これは、特定の民族が一つの住宅地に過度に集中することを抑え、社会的な混住を維持するための制度です。

したがって、HDBの再販価格は、通常の需給だけでなく、購入資格、国籍、永住資格、民族構成に関する政策によっても影響を受けます。

5.購入後も自由に売却・賃貸できるわけではない

HDBフラットは購入者の住宅資産ですが、純粋な投資商品ではありません。

購入者には、**Minimum Occupation Period(最低居住期間)**が課されます。この期間中は、原則として実際にその住宅に居住しなければならず、自由に売却したり、別の私有住宅を取得したりすることはできません。

2024年10月以降に販売された新築HDBフラットは、立地や補助内容に応じて、Standard、Plus、Primeの三つに分類されています。

分類 最低居住期間 主な売却・賃貸条件 Standard 5年 MOP経過後に売却可能 Plus 10年 売却時の補助金回収、再販条件の強化 Prime 10年 Plusより厳格な補助金回収・再販条件

PlusとPrimeについては、住戸全体を賃貸することも認められていません。利便性の高い場所にある住宅へ追加補助を行う代わりに、短期転売や投資利用を抑える設計です。

一般のHDBフラットについても、住戸全体を賃貸できるのは、原則として最低居住期間を満たしたシンガポール国民の所有者です。永住者であるHDB所有者は、フラット全体を賃貸することが認められていません。

この点からも、HDBの第一の目的が、賃料収益や短期的な値上がり益ではなく、所有者本人の居住にあることが分かります。

6.HDBには再販市場があるが、完全な自由市場ではない

最低居住期間を満たしたHDBフラットは、所定の条件のもとで再販市場に売り出すことができます。

再販価格は、基本的に売主と買主の交渉によって決められます。HDBは実際の再販成約価格を公開しており、買主と売主は周辺取引を確認しながら価格交渉を行えます。

ただし、誰にでも売却できるわけではありません。

買主はHDBの購入資格を満たす必要があり、民族統合政策や永住者世帯枠、Standard・Plus・Primeの区分に応じた再販条件も確認しなければなりません。

また、住宅購入に使用したCPF資金は、売却時に原則としてCPF口座へ戻す必要があります。返還対象には、実際に使用した金額だけでなく、その資金をCPFに残していれば得られたはずの経過利息も含まれます。

そのため、売却価格から住宅ローンを返済した残額が、そのまま全額現金として手元に残るとは限りません。

HDBは市場で売買できる資産ですが、居住政策、老後資金、補助金制度と一体化した「条件付きの住宅資産」です。

7.外国人が購入できるのは、主として民間住宅市場

一般の外国人投資家がシンガポールで住宅を購入する場合、中心となるのは民間のコンドミニアム市場です。

シンガポールのResidential Property Act上、外国人は、コンドミニアムの区分住戸や一定のフラットを、Singapore Land Authorityの事前承認なしで購入できます。ただし、HDBフラットやエグゼクティブ・コンドミニアムについては、別途HDBの購入資格を満たす必要があります。

一方、戸建住宅、テラスハウス、バンガロー、住宅用土地などの土地付き住宅を外国人が購入する場合は、原則として事前承認が必要です。

承認は個別審査であり、Singapore Land Authorityは考慮要素として、原則としてシンガポール永住者である期間が5年以上であることや、課税所得などを通じてシンガポールに特別な経済的貢献をしていることを挙げています。これらを満たせば必ず承認されるという制度ではありません。

つまり、外国人がシンガポールの住宅を一切購入できないわけではありませんが、購入できる住宅の種類によって制度が大きく異なります。

8.外国人には住宅価格の60%に相当する追加印紙税

外国人の住宅取得において、最も大きな負担となるのがAdditional Buyer’s Stamp Duty、略してABSDです。

2026年7月25日時点で、住宅購入者に適用される主なABSD税率は次のとおりです。

買主の属性 取得する住宅 ABSD税率 シンガポール国民 1戸目 なし シンガポール国民 2戸目 20% シンガポール国民 3戸目以降 30% 永住者 1戸目 5% 永住者 2戸目 30% 永住者 3戸目以降 35% 外国人 住宅の取得戸数を問わない 60%

ABSDは通常のBuyer’s Stamp Dutyとは別に課されます。住宅用不動産の通常の買主印紙税は累進税率で、2023年2月15日以降の最高限界税率は6%です。

例えば、外国人が時価200万シンガポールドルのコンドミニアムを購入する場合、ABSDだけで120万シンガポールドルとなります。これに通常の買主印紙税や法務費用などが加わります。シンガポール内国歳入庁も、同じ200万シンガポールドルの例について、外国人のABSDを120万シンガポールドルと示しています。

外国人の取得を法律で全面禁止するのではなく、非常に高い追加税率によって住宅投資需要を抑制する仕組みです。

9.すべての外国人に60%が適用されるわけではない

外国人のABSDには、自由貿易協定等に基づく例外があります。

シンガポールとの協定により、次の者は、ABSDについてシンガポール国民と同じ取扱いを受けられる場合があります。

アイスランド、リヒテンシュタイン、ノルウェー、スイスの国民または永住者 アメリカ合衆国の国民

これらの対象者は、シンガポール国民と同じ税率区分が適用されます。したがって、対象者がシンガポールで初めて住宅を取得する場合には、所定の手続を経てABSDが免除される可能性があります。

ただし、アメリカの永住者で国民ではない者など、国ごとに対象範囲が異なります。国籍、永住資格、共同購入者の属性、所有住宅数を確認せずに税額を判断することはできません。

また、異なる属性の複数人が共同購入する場合、原則として最も高いABSD税率が物件全体に適用されます。

10.「国民の住宅」と「国際投資市場」を分ける制度設計

シンガポールの住宅制度を整理すると、三つの異なる層が見えてきます。

第一は、シンガポール国民を中心とするHDB市場です。

補助価格、CPF、住宅補助金、融資制度を組み合わせる一方、購入資格、最低居住期間、再販、賃貸に条件を設けています。

第二は、外国人も参加できる民間コンドミニアム市場です。

外国人による取得自体は認めながら、60%のABSDによって海外投資需要を強く抑制しています。

第三は、土地付き住宅市場です。

土地の限られた国家であることを踏まえ、外国人の取得には個別承認を求めています。

この制度は、「外国人を完全に排除する制度」ではありません。

国民の居住用住宅、国内外の資金が参加する民間集合住宅、希少な土地付き住宅について、それぞれ異なる入口と負担を設けています。

11.高い持ち家率の裏側にある制約

シンガポールのHDB制度は、高い住宅所有率を実現しました。しかし、所有者が完全な自由を得る制度ではありません。

権利は通常99年間のリースホールド 購入資格は国籍、家族構成、年齢等と連動 最低居住期間中は原則として売却できない Plus・Primeでは10年間の居住が必要 売却先にも資格・民族・永住者枠による制限がある 追加補助を受けた住宅では売却時に補助金の一部を返還する CPFを使用した場合、売却時に使用額と経過利息をCPFへ戻す

したがって、高い持ち家率は、完全な市場自由化によって達成されたものではありません。

政府による供給と補助の代わりに、所有権の利用方法にも公共政策上の条件を付ける。

これがHDB制度の基本構造です。

また、CPFは本来、老後保障を含む社会保障資金です。CPF自身も、住宅に資金を使い過ぎれば老後資金が減少すると注意を促しています。住宅所有と老後保障を同じ資金で支える以上、両者のバランスが必要です。

12.日本の公営住宅・外国人取得制度との違い

日本の公営住宅は、公営住宅法に基づき、住宅に困窮する低額所得者へ低廉な家賃で賃貸することを中心としています。国が幅広い国民へ公営住宅を売却し、持ち家化を進めるHDB方式とは、制度目的が異なります。

また、日本では、外国人であることだけを理由として、一般の土地・建物の所有権取得を一律に禁止する制度は現時点で設けられていません。非居住者が日本国内の不動産を取得する場合には、外国為替及び外国貿易法に基づき、一定の例外を除いて取得後20日以内の報告が必要です。

日本には、シンガポールの外国人向けABSD60%に相当する、国籍だけを基準とした全国一律の住宅追加取得税もありません。

シンガポールの仕組みは、国土面積、国有地の割合、人口規模、CPF制度、行政による住宅供給力を前提に成り立っています。そのため、HDB制度の一部だけを日本へ導入すれば同じ結果が得られるわけではありません。

まとめ

シンガポールで多くの国民がHDBフラットを所有している理由は、「住宅が安いから」だけではありません。

政府が住宅を供給し、補助価格で販売し、CPF、住宅補助金、住宅ローンによって購入を支えています。その一方で、購入資格、最低居住期間、売却先、賃貸利用、補助金回収などに細かな条件を設けています。

外国人については、民間コンドミニアムの取得を認めながら、原則60%のABSDを課し、土地付き住宅には個別承認を求めています。

制度全体を貫いているのは、住宅を単なる投資商品として扱わない考え方です。

住宅を国民生活の基盤として広く所有させる一方、公的補助を受けた住宅が短期的な投機対象になることを抑える。

高い持ち家率は、自由な不動産市場だけで生まれたものではありません。

公的供給、社会保障、税制、国籍政策、都市計画を一つの住宅政策として組み合わせた結果なのです。

【世界の不動産事情・第7回】 | Beyond Realty