【世界の不動産事情・第5回】

ドイツの「家賃ブレーキ」は入居者を守れるのか
ドイツは、欧州でも特に賃貸住宅の比重が大きい国です。ドイツ連邦統計局によると、2025年には人口の52.8%が賃貸住宅に居住しており、EU加盟国のなかで最も高い割合となっています。持ち家を取得することだけでなく、長期間にわたり賃貸住宅で暮らすことが一般的な社会だからこそ、家賃をどのように決めるかは、国民生活に直結する政策課題です。
ドイツの賃貸制度を説明する際、「貸主が家賃を自由に決められない国」と表現されることがあります。しかし、この表現だけでは正確ではありません。
ドイツ全土のすべての賃貸住宅について、政府が一律に家賃を決めているわけではありません。現在運用されている「Mietpreisbremse(ミートプライスブレムゼ)」、日本語で一般に「家賃ブレーキ」と呼ばれる制度は、住宅需給が特に逼迫していると指定された地域において、主に既存住宅を新たに貸し出す際の契約家賃を制限する仕組みです。
本稿では、2026年7月25日時点の法令と公的資料に基づき、この制度の内容、例外、効果、限界を整理します。
1.家賃ブレーキは、ドイツ全土に適用される制度ではない
家賃ブレーキの基本ルールは、ドイツ民法第556d条に定められています。
州政府が「住宅市場が逼迫している地域」として指定した区域では、新たな賃貸借契約を締結する際の家賃は、原則として地域の標準的な比較家賃を10%超えて上回ることができません。
ただし、連邦法が直接、ドイツ全土の都市を指定しているわけではありません。
連邦法は州政府に対し、住宅供給が特に不足している市町村や地域を条例で指定する権限を与えています。対象地域となるかどうかは、家賃の上昇率、世帯の家賃負担、人口増加と住宅供給の関係、空室率などを踏まえて州ごとに判断されます。
2025年には、州政府が対象地域を指定できる制度の期限が2029年12月31日まで延長されました。しかし、これは家賃ブレーキが自動的にドイツ全土で2029年まで適用されるという意味ではありません。各州が条例を制定し、その条例で指定された区域に限って適用されます。
2.基準となるのは「前の入居者の家賃」ではない
家賃ブレーキの基準となるのは、原則として前の入居者が支払っていた家賃ではなく、その地域における標準的な比較家賃です。
ドイツ語では「ortsübliche Vergleichsmiete」と呼ばれ、同じ地域にある住宅の種類、広さ、設備、築年、状態、立地などを比較して算定されます。多くの自治体では、「Mietspiegel」と呼ばれる家賃表が判断資料として使用されています。
例えば、対象となる住宅の比較家賃が1平方メートル当たり月額10ユーロであれば、家賃ブレーキ上の原則的な上限は11ユーロです。
ただし、実際の比較家賃は、単純な地域平均ではありません。同じ市内でも、建物の築年、設備、住宅面積、所在地区などによって区分が異なります。また、家賃ブレーキの対象となるのは、原則として共益費や暖房費等を含まない基礎家賃です。
したがって、投資家や貸主が「周辺の募集広告では月額15ユーロだから、自分の住宅も15ユーロで貸せる」と判断することはできません。
市場で募集されている家賃と、法律上請求できる家賃は一致しない場合があるのです。
3.家賃ブレーキは「家賃凍結」ではない
家賃ブレーキという名称から、ドイツでは家賃を一切上げられないように思えるかもしれません。しかし、この制度は家賃を凍結するものではありません。
家賃ブレーキが主に対象とするのは、入居者が入れ替わり、新しい賃貸借契約を締結する際の当初家賃です。
すでに入居している賃借人の家賃を増額する場合は、ドイツ民法第558条など、別の規定が適用されます。貸主は一定の要件のもと、地域の比較家賃まで増額を求めることができますが、一般には3年間で20%、州が指定した住宅市場逼迫地域では15%を上限とする制度があります。
つまり、ドイツでは次の二つを区別する必要があります。
新たな契約を締結する際の家賃 既存の契約期間中に行う家賃の増額
いずれについても一定の法的制約はありますが、政府がすべての住宅の家賃を個別に決めているわけではありません。
貸主には家賃を設定する余地が残されているものの、その自由が住宅政策上のルールによって制限されている、というのが正確な理解です。
4.新築住宅は、原則として家賃ブレーキの対象外
家賃ブレーキには、重要な例外があります。
代表的なものが新築住宅です。ドイツ民法第556f条では、2014年10月1日より後に初めて使用され、かつ初めて賃貸された住宅には、家賃ブレーキを適用しないと定めています。
この例外は、家賃規制によって新築住宅への投資意欲が低下することを避け、住宅供給を促す意図を持っています。
ただし、「築浅だから対象外」という意味ではありません。判断基準となるのは、建物が完成した日だけではなく、2014年10月1日より後に初めて使用・賃貸された住宅であるかどうかです。
新築住宅の入居者が退去し、その後別の入居者へ再度賃貸する場合でも、この要件を満たす住宅は原則として対象外となります。
そのため、ドイツの賃貸住宅を取得する際には、単なる築年数ではなく、最初に使用・賃貸された時期を確認することが重要です。
5.大規模改修後の初回賃貸にも例外がある
家賃ブレーキは、大規模な改修を行った住宅の初回賃貸にも原則として適用されません。
対象となるのは、単なる内装の交換や部分的な修繕ではなく、建物の状態を新築に近い水準まで向上させる「包括的な近代化」が行われた場合です。
どの工事が包括的な近代化に該当するかは、工事費だけではなく、住宅の設備や品質がどの程度改善されたかを含めて判断されます。
したがって、表面的なリフォームを行えば自由に家賃を設定できるわけではありません。
また、過去3年間に一定の近代化工事が行われている場合には、家賃ブレーキによる上限に、法律上認められる一定額を加算できる場合があります。
投資家が改修による賃料増額を見込む場合、工事費と想定賃料だけではなく、工事の法的位置付けと、賃料へ転嫁できる範囲を確認する必要があります。
6.前の入居者がすでに高い家賃を払っていた場合
もう一つの重要な例外が、以前の賃料に関するものです。
前の入居者が、家賃ブレーキによる原則的な上限を超える家賃を適法に支払っていた場合、貸主は一定の条件のもとで、新しい入居者にもその賃料水準まで請求できることがあります。
ただし、貸主がこの例外を利用する場合には、契約締結前に以前の賃料など、例外の根拠となる情報を入居希望者へ示す義務があります。借主には、賃料の適法性を確認するために必要な情報を貸主へ求める権利もあります。
この制度があるため、同じ建物内にある同じ間取りの住戸でも、契約開始時期や従前賃料によって、法律上認められる家賃が異なることがあります。
ドイツの賃貸住宅では、物件そのものだけではなく、過去の賃貸履歴が将来の収益性に影響するのです。
7.家具付き住宅なら対象外になるわけではない
家具付き住宅についても誤解があります。
家具を備え付けて貸し出すことだけを理由に、家賃ブレーキが当然に適用されなくなるわけではありません。家具付き住宅であっても、通常の居住用賃貸借であれば、原則として家賃ブレーキの対象となり得ます。
一方、ホテルや休暇用住宅、真正な一時使用を目的とする契約などは、一般の住宅賃貸借とは異なる扱いとなる場合があります。
実務上の問題は、家具そのものの使用対価と、住宅本体の家賃が明確に分けられていない契約があることです。家具付きという形式だけを見て、家賃全体が適法であると判断することはできません。
契約期間が短い、家具が付いている、事業者が入居者を募集しているといった外形だけではなく、実際の使用目的と契約内容を確認する必要があります。
8.制度は自動的に家賃を引き下げてくれるわけではない
家賃ブレーキの実効性を考えるうえで、重要なのが執行方法です。
貸主が法律上の上限を超える家賃を契約書に記載しても、行政機関がすべての契約を事前に確認し、自動的に家賃を訂正する制度ではありません。
借主自身が比較家賃や適用除外の有無を確認し、家賃が上限を超えていると考える場合には、法定の手続に沿って貸主へ異議を示し、返還を求める必要があります。返還を受けられる期間や金額は、異議を申し立てた時期や契約状況によって異なります。
2025年にドイツ連邦議会が実施した専門家聴取でも、借主が制度を知らない、貸主との関係悪化を恐れて権利を行使しない、違反に対する抑止が十分でないといった問題が指摘されました。
したがって、法律上の上限が存在することと、その上限がすべての契約で確実に守られることは別の問題です。
9.家賃ブレーキの効果について、評価は分かれている
家賃ブレーキが実際にどの程度機能しているかについては、研究者や業界関係者の間でも評価が分かれています。
DIWベルリンなどが2011年から2016年までの募集データを分析した研究では、制度導入前の家賃上昇率が年間3.9%を超えていた地域では、家賃上昇を抑える効果が確認されました。一部地域では、規制対象住宅の募集家賃が導入時に最大2.9%低下したと推計されています。
ただし、この研究は、すべての地域で同じ効果が生じたとは結論付けていません。制度導入前の家賃上昇が比較的緩やかだった地域では、明確な効果を確認できませんでした。
また、2025年の連邦議会の専門家聴取では、家賃ブレーキを一定の価格抑制手段として評価する意見がある一方、住宅供給を増やさず、投資や改修を弱める可能性があるとの批判も示されました。
現時点で確認できるのは、次の二点です。
第一に、家賃ブレーキは、適用条件を満たし、借主が権利を行使した個別契約では、請求できる家賃を抑える機能を持っています。
第二に、家賃ブレーキそのものには、新しい住宅を建設したり、住宅不足を直接解消したりする機能はありません。
したがって、入居者を一定程度守る制度ではあるものの、住宅不足を解決する万能な制度ではないというのが、最も慎重な評価です。
10.2029年まで延長されたが、恒久制度ではない
ドイツ連邦議会は2025年6月、家賃ブレーキの根拠となる制度を2029年末まで延長しました。延長理由として、都市部の再賃貸時の家賃が引き続き上昇し、低所得者だけでなく、平均的な所得層や子育て世帯の居住継続にも影響することが挙げられています。
2026年1月、ドイツ連邦憲法裁判所は、2020年に行われた家賃ブレーキの延長に対する憲法異議を審理対象として受理しませんでした。ただし、この判断が直接対象としたのは以前の延長であり、2025年に成立した2029年までの延長について最終的な憲法判断を示したものではありません。
2026年7月時点では家賃ブレーキは有効な制度ですが、2029年以降も同じ内容で継続するか、対象や例外が変更されるかは確定していません。
不動産投資では、現在の制度だけでなく、政策変更の可能性を織り込んで検討する必要があります。
11.ドイツの賃貸住宅を取得する際の確認事項
ドイツの賃貸住宅へ投資する場合、周辺の募集家賃だけから収益を計算するのは危険です。
少なくとも、次の事項を確認する必要があります。
対象地域に州の家賃ブレーキ条例が適用されているか 該当するMietspiegel上の比較家賃はいくらか 住宅が最初に使用・賃貸された年月日 現在および過去の賃貸借契約と賃料 大規模改修や近代化工事の履歴 家具付き・短期賃貸の場合の契約実態 既存入居者の家賃を将来どこまで増額できるか 管理費、修繕費、税金を控除した実質収益
特に、売主や販売会社が提示する「市場家賃」が、法的に実現可能な家賃であるかを確認しなければなりません。
募集市場ではより高い賃料が見込めても、家賃ブレーキや従前賃料によって、実際に請求できる金額が低くなる可能性があります。
12.日本の家賃制度との違い
日本の民間賃貸住宅では、賃貸借契約は原則として、貸主と借主の合意に基づいて締結されます。ドイツの家賃ブレーキのように、住宅市場逼迫地域の新規契約家賃を、地域比較家賃の110%までに一律制限する全国的な制度はありません。
一方、日本にも家賃に関する法的な調整制度はあります。
借地借家法第32条は、租税負担、不動産価格、経済事情、近隣の同種住宅の賃料などが変化し、現在の家賃が不相当となった場合、貸主または借主が将来に向かって家賃の増額・減額を請求できると定めています。
つまり、日本とドイツでは、家賃調整の考え方が異なります。
日本は、契約当初の家賃について当事者間の合意を重視し、その後事情が変わった場合に増減請求を認める仕組みです。
ドイツは、住宅市場が逼迫する指定地域について、新規契約の段階から比較家賃を基準に上限を設けています。
まとめ
ドイツは「貸主が家賃をまったく自由に決められない国」ではありません。
しかし、住宅が国民生活の基盤であり、人口の半数以上が賃貸住宅で暮らしていることを背景に、住宅市場が逼迫する地域では、貸主の価格設定の自由に明確な制限を設けています。
家賃ブレーキは、適用される個別契約では借主を高額な再賃貸家賃から守る機能を持ちます。
その一方で、新築住宅や包括的な近代化後の住宅には例外があり、従前賃料によっては比較家賃を超える家賃が認められる場合もあります。また、制度の効果を得るには、借主自身による確認と権利行使が必要です。
さらに、家賃を制限するだけでは、住宅不足そのものは解消しません。
家賃規制による入居者保護と、住宅供給を増やすための投資環境をどう両立させるか。
ドイツの家賃ブレーキをめぐる議論は、日本を含む多くの国が今後向き合う住宅政策の難しさを示しています。
